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月見ヶ丘の歴史

「月見ヶ丘」の名が歴史上に現れたのは、鎌倉時代の初期、西暦1220年代である。
鎌倉幕府と後鳥羽上皇が対立した承久の乱の結果を受けて、後鳥羽上皇の第一皇子である土御門上皇は阿波に閉居した。
土御門上皇は、月見ヶ丘海岸に立って和歌を詠んだと言われている。

海原や 月さしのぼる 末晴れて まちかくなりぬ 紀路の遠山
月明かりに晴れる紀伊半島の山影と、上皇の望郷の念がしのばれる。
公園内「月見の丘」には、土御門上皇の歌碑がある。

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